拒絶の心の痛みは甘くない
「拒絶される」ことによる痛みを軽く見てると痛い目に合います。
心のダメージって、軽く見がち。
でも、精神的苦痛は、肉体的苦痛と同じものだと考えて。
好きな人にフラれたり、
仲間からハブにされたり、
自分の存在をバカにされたり、、、
「私はダメなんだ」
「必要ないんだ」
「愛されていないんだ」
自己否定の考えはその痛みの兆候。
本能的にインプットされているので、
自然に脳が危険サインを出します。
ブーーー!ブーーー!ブーーー!
火元を見つけて、即座に水をかける消化活動。
やりがちなのは、自分で自分の傷を広めないこと。
私は、中学生の頃、
同級生らから仲間外れにされて、自己否定に陥り、
人と接するのが恐怖で仕方ない時期がありました。
拒絶されて辛い想いをするくらいなら、
自分を守ろうとして、
自分から先に周りの人を拒絶しました。
そしたら、その通りになって、
「ほらみろ、皆は私を拒絶している。やはり私は拒絶するに値する人だ。」
どんどん泥沼にはまって、
人間不信は高まり、
周りに対して、攻撃的になっていきました。
んで、中学時代が終わった頃に、 確認してみたんです。
「私は、嫌われていたでしょ?」って。
特に、この人には拒絶されたと思う本人に向かって。
「えっ?!そんなこと全然なかったよ。もっと話せたりできたらな、と思ってたよ」
まあ、目からウロコが落ちまくりでしたわ!(◎_◎;)
自分の中で、勝手な思い込みで暴走するよりも、 聞いてみるのが一番いいです。
その一歩を踏み出すのが怖いんですけどね(⌒-⌒; )
ちょっとしたことから、確認してみること。
怒られることを楽しむコツ
おはようございます。
怒られる時、相手は何を話してたかを覚えてますか?
「相手は私を怒ってる」
そんな構図が印象強すぎて、
どんな内容を話してたか?
全く内容は入ってません(笑)
内容はわかんないけども、私は怒られた!
日々、そんな蓄積をしてたら、
もったいなーい!
相手が有難いアドバイスや、注意した方がいいこともたくさん話してるはずです。
相手のにらみを効かせた表情、
激しい感情、
否定する言葉、
関係を遮断するようなしぐさ、、、
そんな見た目をどう思うか?
表面にとらわれて、
「相手は私を否定してるんだ!」という考えでいっぱいになってたら、
話は全く聞けてません♪( ´▽`)
「おかげで、自分の未熟なとこに気づけた!」
「まだまだ、伸びしろがあるってことだ!」
「相手は率先して、怒り役をやってくれてるんだ!」
自分自身もそうですね。
イラッとした時、
はたして何にイラッとしたのか?
よーく突き詰めると、
たいしたことないもんです(笑)
『私は、◯◯なんです』
こんにちは。
『私は、話すの下手だ』
『私は、人と付き合うのが苦手だ』
そう、、、
『私は、◯◯なんです』
自分で自分のことを決めつけてしまう。
意外とやっちゃいますよね。
決めつけるからって、
別に悪いことではないんですけども・・・
ただ、もったいない〜!
何がもったいないか!?
『私は、◯◯なんです』
〇〇に否定語が入っていること。
〜できない!
〜苦手だ!
ダメだ!
人生は、今ここの積み重ね。
〜ない私、
そんな私にフォーカスを当てた人生。
『人付き合いが苦手』と言っても、
どこでそう判断したの!?
全世界70億人の人と付き合ってみた?
少し考えてみたら、
あなたの周りにたまたまいた
数人、いても数十人。
環境を変えてみたら、
自分のことを知らない人と出会えて、
付き合いが楽しくできた!
という人もいます。
それと、『完璧な人』と比べてしまってませんか?
もし、『この人は完璧だ!』と思う人を、
観察してみたら、
案外、大したことない。
不完全なところを持ってたり、
意外な一面を持っている。
「隣の芝生は青い」。
自分を一番知らないのは、自分自身。
今ここの積み重ねだから、
あなたが自由に選べるの。
あなたの人生、
どう生きるかは、
あなた次第。
断捨離
こんにちは。
断捨離しました!
実は、引っ越しをしたので、この機会にやってしまいました。
物置の中にドンと鎮座してるものを動かすのは、やはりエネルギーがいりますね(⌒-⌒; )
おかげで、
心が軽くなりました!
捨てるかどうするか、、、
迷ったら、
エイヤ!って思い切っていくこと。
そんな決断を踏むのが良いです。
新生活を始めるキッカケによいスタートを切っていきましょ!
友達は、〇〇な人。
こんにちは。
友達って、一緒にいて安心できる人だね。
でも、今の自分にそう思える人がいなくても大丈夫。
今のうちに、
一人で楽しめることをしちゃいましょ。
本読んだり、
公園散歩したり、
映画観たり、、、
そのうち、「それ何〜?」って、
気にかけてくれる人が来る。
無理に変わろうとしなくていい。
今は、ゆったりと楽しむのも大事。
「何もかも自分が悪い」と思う裏にある本音⑵
こんにちは。
「私が全部悪いんだ」
私は小学生の頃、
父が毎日遅くまで残業して、
体も精神もボロボロになり、
そんな父を兄は、
「稼げない父なんて、情けない!」って毎日罵り、
居場所がなくなった父を見て、
「男が仕事を失ったら、クズや」
この時、お互いをバカにしあい、
愛や尊敬などカケラのない家族。
そんな家族を作ったのは、、、
私だと思ってました。
「私がいけない。ダメだったから」
・・・・・そうなのねー。
バブル崩壊の頃で、会社の都合や社会全体が大変だったでしょ、
いや、私が悪い!
辞める選択肢も悪くなかったでしょ、
いや、支えられなかった私が悪いの!
まあー、月が欠けるのも私のせいだと思ってましたね(⌒-⌒; )
この身体の私👤が、
世界を支配しているんかいな?
そうやって、「私が悪いの」と思っておけば、
これ以上、誰も傷つかないし、傷つけない。
可哀想な自分を演じれば、
誰も責めてこない。
問題を解決しなくても大丈夫。
逆に解決しない方が、
可哀想な自分でいられるポジションを掴んでられる。
「私が悪いの」
そんな自分を演じてるだけなんだー!ってことに気づき、
役割を降りましょう。
自分が勝手に選んでただけ。
数ある役割の中で、
何で選んじゃったのか?
何もしなくていいですからね。
一番、楽な役割なんです。
卒業したかったらしたらいいし、
そのままが心地よかったら、続けるのもいいですね。
「何もかも自分が悪い」と思う裏にある本音①
こんにちは。
人間関係や仕事の中で何か問題が起こった時、
「全部自分が悪い」
そうやって、自分のことを責めがちな性格のことを『自罰型』って呼んだりしますね。
(※反対に相手のことを責めがちな性格が他罰型。)
「私が未熟だから、トラブルを起こしてしまうんだ」
「トラブル起こしたり、周に迷惑をかける」=「私が悪い」
一見、周りに責任転嫁せず、
自らの中に原因を求めているっぽく
見えるから、謙虚かもしれません。
生きていればどうしたって、
個人の力では、
どうしようもできない問題がふりかかってきますね。
そんな時、
人との協力を得たり、
チームプレイで解決していかないと
どうしようもないことばかり。
それなのに、、、
「私が全部悪いんだ」
つまり、
ひっくり返してみたら、
実はこんな思いが隠れています。
それは、、、、