人生、やり直したいと思った時
ココロのエンジンのメンテナンスの豆知識とかって、
ブログで書いときながら、
自分自身も自分のココロのエンジンメンテナンスを
現在進行形でやってますー( ◠‿◠ )
教える側はスゴイ人だ!って勝手に思ってましたね。
「教えられなきゃ!自分はできていなきゃいけない!」
そんな風に保とうとするのって、限界ですわ。
わかる人が見れば、ミエミエですからね。
「変化しなきゃ!セルフイメージをあげなきゃ!」
落ち込んじゃダメ〜、とかとか。
役にたてる人間になるんだ!稼げる男にならなきゃ!家族のために、周りのために、、、
前向きに、ガンガンいくぜ!って
そうやって「己を奮い立たせる事=生きる事」だと疑わなかったんですよ。
もう、人生、やり直しヤァ!
ってくらいな勢い。
ドラクエで言えば、
レベル1からのニューゲームくらいな新鮮。
その頑張りは、不安を覆い隠すため?
普段、
どんなモチベーションでガンバってますか?
・喪失してしまった存在意義を取り戻したい(自分が自分の存在意義を見失っている、この不安を誰かに埋めてほしい!)、
・仲間だと認められたい(自分が最高だと思ってて周りを見下し、仲間だと認めてない。でも寂しくて不安)、
・自分を悪く言っている周りを見返してやりたい(自分が不安でツンツンしてて、周りを悪く言っている)、
・お金の不安から自由になりたい(不安な気持ちを抱えたままでは、余計に縛られ、お金が入ったら不安は倍増)、
自分の不安な状態を自分はわかんないんです。
でも、周りからはこの痛い状態が
よ〜〜く見えるもんです。
不安から逃れたいのがミエミエ。
ある程度、頑張った結果、
本当に今ここの幸せを感じているかどうかが見極めポイント。
もうブログ、書きたくない②
「書く」ことと向き合うことで、
思わぬ発見があったネタの続き(^ ^)
小さい頃から、クラスでトップを争うほどの無口っぷりな私。
言葉を口から表現する事がほぼ無かった私にとって、
「書く」事は唯一の表現でした。
あれは、高校生の頃。
「心の中にたまった想いは紙に書きなぐって、紙を捨てたらいい。」
ある友人の一言をキッカケに号泣。。。
えっ!?
出してもいいの~!?
人に迷惑をかけてはダメだ、
周りに思いやりができる人にならなきゃ!って言うし、
世界の片隅の片隅で静かに生きているっぽく思っていた私。
縛り付けていた鎖は外れないものだと思っていたけども、
あっ、外していいんだ!と思った瞬間。。。
今まで、溜め込んでいた想いが一気に溢れ出して、
メチャクチャ書きました。
自分で書いた言葉をみて、
自分の見えなかった想いを外に出してみると、
私はこんな想いを持っていたんだΣ(・□・;)
自分の事を無視していたのは、
他の誰でもない、この私。
ここまで心が痛んで、
張り裂けていた事に全く見向きもしなかった。
この世界の片隅の片隅に、やっと見つけた心。
続く・・・
もうブログ、書きたくない①
カッとなる前に思い出してほしいこと
ついつい、カッとなって言っちゃう人へ。
怒るつもりはないのに、
なぜ、カッとなっちゃうのか?
「相手がムカつく言葉を言った(原因)、だから私はカッとなった!(結果)」
やりがちですね。。。
そんな時は、まず自分が余裕ない状態なんだと自覚しましょう。
自覚するだけでも、客観的に見えて落ち着いてきます。
さらには、認識の原因から探って見ると、、、
コミュニケーションは結果を見て判断しがち。
実は、原因があるんです。
「相手がムカつく言葉を言ったから(原因)」→「私はムカついた!(結果)」
実は、逆。
「私がムカついていたから(原因)」→「相手の言葉が私をムカつかせるように聞こえた(結果)」
すでに、自分でも気づかない無意識下に
原因が潜んでいるんです。
同じ言葉を聞いても、
ムカつく人もいれば、ムカつかない人もいるわけです。
映画で例えれば、
100人いれば100通りの映画が上映されているんです。
「なぜ、そこで怒らすような事を言うの?」
「そこは全然気にならなかった。」
「相手を思いやっているように聞こえた」
同じ映画でも、一人ひとりの中で、
全く違う映画が上映されているんです。
映画のスクリーンを観ていることに気づくと、
目の前の現実をどう解析するかは自分次第ってことに気づくと、、、
かなり楽です。
認識の結果だけを見てたら、
わかんないけども、
原因に目を向けて観たら、
人間のココロは仕組みでコロコロと動いているだけです。
「できない自分」から「できる自分」になることが変化?
こんにちは。
ここ数年つけている日記をみてて、
何年か前に書いていたことを発見したんだけど、
「ある会議で発言できた私、スゴい!」。
その時は、「アウトプットできない自分」ことが問題だと思っていたから、
「アウトプットできる自分!になった」って喜んでた。
「できない自分」から「できる自分」になることが、
「自分」という枠を超える限界突破だと思ってた。
けども、、、、
ココロのエンジンの気づきが深くなってくると、
新たに気づいたことがあって。
「できた!」の裏にある「できない!」。
これは表裏一体。
磁石のS・Nみたいに、
一方が大きくなるほど、
逆の反発も働く。
変化って、
「できない」→「できる!」に変えることと思うけど、、
これは、果てしない無限ループ。
「ダメだ~!」→「できた!」→「でも、私ってダメじゃん!」→「できた!」→「でも、でも、、、私ってダメじゃん!」→「できた!」→「でも、でも、でも、、私ってダメじゃん」→・・・・
いくら➕に向けて頑張っても、頑張っても、、、
結論は、
➖の「私ってダメじゃん!」。
鎖に繋がれた犬のように、
どんな方角へ行こうとしても、
鎖の長さ以上は伸びないように。
結論は、
➖「私ってダメじゃん!」。
結論を決めている。
しかも、無意識になっているから、
なかなかわかんないだけど。
ついつい、頑張ってしまう人ほど、
やってしまいがち。
ここまで頑張ったことは、徒労やったの!?と思っちゃうかもだけど、
この➖の「私、ダメじゃん!」という自己否定を手放すためには、
➕に「○○ができる自分!」を手放すこと。
➕をポイっと手放すこと。
実は、➖だと思っていたことは➖ではない。