間違えている人を責めたら、自分が同じ間違いをするのが恐くなる
こんにちは。
今日は、こんな記事を書いてみようかと思いました。
間違えている人を責めたら、自分が同じ間違いをするのが恐くなるし、大変です。
結局、自分に跳ね返ってくる、
ブーメラン。
私の昔話をしたら、
父に対して、よく責めておりました。
「COM下手な人だ!」
私がまだ小学生の頃、
会社を辞めざるを得なくなり、
傷心している父を見て、
男がメソメソと情けない!って思う無慈悲な私でした。
ある日、
自分自身が高校、大学に進んでいくうちに、
信頼ある友達を作れず、人間関係に苦しかった時に、
「あれ?オレもCOM下手なん?そんなの認めたくない!違うわ、マジで。無口で表現下手で、本音を言ったり、感謝の気持ちも言えなくて関係性を築けないなんて。ましては、拒絶されて落ち込んでいるなんて。そんな現実を認めへんぞ!」
昔の父みたいになってしまうのは、
「人間として人生終わった!」ものだと決めつけていたもんです。
責めるという呪いは、全部自分に跳ね返ってくる。
責めたくなる理由は、
自分を正当化したいから。
「私は正しい!」って周りを責めないと自分を保てない。
不安で仕方ない、自信ない。
それは、人から認められない寂しさ。
人目を気にしていた自分は周りからの評価を得ることに慣れきっていた。
私は間違ってない、
正しい、
負けていない、
一度の失敗、間違いで「失格」の烙印が押してしまう。
ただ、いつまでも終わらない責めるループをよくやっちゃってました。。。
『「間違いをした人を責めてる人」に対して、「責めてんじゃね〜!」と言って責めている自分』
正しく生きようとすればするほど、 自分の価値観の強要を押し付けてしまう辛さ。
間違いは誰もでするもんだし、肝心なのはやっちゃった後。
反省会は、やることやった後でね。